『河童の道行』作品ガイド
お品書き
■作品紹介 / ■出演者・スタッフ / ■Photo Gallery / ■コラム① / ■おとずれてみませんか? / ■『河童の道行』歌詞 / ■コラム② / ■他作品ガイド
【新内と人形の共演】『河童の道行』
2匹の河童のかけあいで綴られる『河童の道行』は、東京大空襲の10年後に創られました。ユーモアもありながら、圧倒的な空襲の描写や、腹の底から湧き出るような敵国への怒りの感情なども生々しく描かれます。戦中から戦後にわたり、敵国への目線が180度変化した日本人の姿を皮肉り、強い反骨精神を内包しながら、哀しい逃避の道行きからは、したたかに「生きのびる」たくましさと未来への希望を感じさせます。
プークでの新内と人形との共演は、1993年の川尻泰司・岡本文弥(当時99歳)による『ぶんやアリラン』以来です。
出演者・スタッフ
作/岡本文弥
演出/柏木俊彦(第0楽章)
人形美術/城田雅子(スタジオ・ノーヴァ)
出演/新内 岡本宮之助 鶴賀喜代寿郎
人形 大橋友子 栗原弘昌(人形劇団プーク)
音響/吉川安志 照明/阿部千賀子 舞台監督/小立哲也 制作/小原美紗
■ 新内:岡本宮之助(岡本宮古太夫)
岡本流後継者として大叔父・岡本文弥、五世宮染に師事。岡本文弥と親交の深かった邦楽演奏家・平井澄子にも薫陶を受ける岡本流以外では演奏不可能になった多くの浄瑠璃を正しく継承。「演奏しなければ無いも同然」をモットーに、ごまかしの無い演奏と保存に努力する。膨大な文弥作品と共に新内節普及に奮闘中。また新曲創作にも積極的に取り組む。創作依頼も多く、作品の評価も高い。演奏会、舞踊会、放送など出演多数。
■ 演出:柏木俊彦
演出家・俳優。横浜市出身。
木野花ドラマスタジオを経て、2010年に第0楽章を設立。代表と演出を担う。
プロデュース公演などにも、演出、俳優、ドラマターグなど様々なカタチで参加。地域プロジェクトや海外プロジェクトの企画運営、教育機関や福祉施設でのワークショップ活動など多岐に渡り活動。
調布市せんがわ劇場 演劇ディレクター。かなっくホール レジデントアーティスト。日本演出者協会副事務局長。国際演劇協会日本センター会員。
> 第0楽章 ホームページ
> 中年のあゆみ
Photo Gallery
憎しみに支配されること
岡本文弥さんの名言録のなかに「戦争は嫌でございます。親孝行ができませんし、何しろ散らかしますから」という言葉があります。
反戦のこころを、このような庶民的な、というか、生活者の視点にたった柔らかい言葉で表した文弥さんは、「赤い新内」と呼ばれる反戦の新内を数多く残しています。
その中のひとつ『河童の道行』は、東京大空襲の10年後に創られた作品です。この作品には手書きの台本が何冊も残されています。文弥さんのやわらかい書き文字や、愛らしいイラストが印象的な台本ですが、中には細かい書き込みが多数あり、何度も何度も、最後まで、そこにある言葉を練り続けていたことがうかがえます。
二匹の河童の掛け合いで綴られた『河童の道行』は、洒落たユーモアもありながら、圧倒的な空襲の描写や、腹の底から湧き出るような敵国「アメリカ」への激しい怒り・憎しみの感情も生々しく描かれます。
戦争を体験していない現代の私たちが聞けば、一方で「日本だって卑怯な奇襲攻撃や、他国への侵略、迫害を行ってきたのではないか。一方的な被害者とは言えないではないか。」そんなことも考えてしまいます。
ですが、目の前で町が焼かれ、たくさんの人が死に、何もかも破壊し尽くされ、そんな非道の限りを尽くした「敵が、敵国が憎い!」というのは、実際に戦争を体験した人にとって紛れもない真実。人が、激しい憎悪に支配されてしまうこと。それがさらなる憎しみと破壊という負の連鎖を生む。それが戦争というものなのだ。そんなことを、この作品から感じとりました。皆さんは、どのように感じられるでしょうか。
東京大空襲の資料館。被害だけでなく加害の歴史にも向き合った展示を行っています。焼夷弾の消し方が掲載された新聞や、防空壕の模型など興味深い展示も多数。世界の「空襲」をまとめた歴史年表は圧巻です。Youtubeチャンネルでは、遺品にまつわる体験談などを視聴することができます。
空襲の被害者の存在が「過去の大勢の犠牲者」という記録や統計の数字ではなく、その一人ひとりが主役の人生が、確かにそこにあった・・・そのことをまざまざと見せつけられる、そんな資料館です。
河童の道行(カッパのみちゆき) 歌詞
河太郎「 これは今戸のあたりに住み古りし、河童河太郎でござる 」
〽︎今日の月夜を幸いに
〽︎久しぶりなる丘の上 長い戦さに荒れ果てて
人の心も浅草の 更け渡りたる裏小路 月影のみぞ朧なる
〽︎河童もとより浮かれ性 素見ぞめきにあらねども、月の光に誘われて、かねて覚えの小唄節
小唄〽︎ すすきかついだ河太郎
かぼちゃ畠をぶらぶらと
酒か団子か いいきげん
用水堀のうすどろを
誘う雨けの小夜ふけて
月に遠音の村囃子
〽︎オツにすました鼻唄も 鼻へぬいたる粋好み
おかわ「 申し申し河太郎さん 」
〽︎ものの影より声ありて
取付きすがり泣いじゃくり。え上げぬ顔をつくづくと。と見、こう見して河太郎。
河太郎 「 やや、お前は、おかわ 」
おかわ 「 河太郎さん 」
河太郎 「 河童仲間でミス河童と もてはやされた器量良し
二年三年逢わぬ間に 変わり果てたるその顔は」
おかわ 「 あい 言うも涙の種ながら 忘れもしないかの年の 」
〽︎弥生九日夜更けて 襲いかかりしアメリカの B29の数知れず
どこもかしこも火の海の 親は子を呼び子は親を
呼べど叫べど燃え盛る 紅蓮の波に押し流され
焼け死ぬ人や大川に 落ちて溺るる人の数
〽︎私しゃ河童の川流れ その火の海をあちこちと 逃げ損ねたる大火傷
こんなお面になったのも みなアメリカの仕業ぞと 恨んで見ても呪っても
今はアメリカ一辺倒 憎む甲斐さえ泣くばかり
心も暗く細々と 忍ぶ辛さを推量して 哀れと思うてくださんせと
かっぱと伏してもだえ泣き 頭の鉢の水さえも 乾き果てたるばかりなり
〽︎河太郎も涙を流し
河太郎 「 姿形は変わるとも 心は変わらぬ二人が仲
憎いとは思えども お上を初め下々まで
アメリカ様のお世話になり みんなアメリカ アメリカと
人の心も草木も靡くご時世なれば」
〽︎反抗の精神いまここに 世間を茶にして生き延びん
ここで逢うたを幸いに 手に手を取って葛西なる 源兵衛堀へ落ち伸びん
河太郎 「 それなら おかわ」
おかわ 「 河太郎さん 」
河太郎 「 どれ道行としゃれようか 」
小唄〽︎ 腕を組んだる河太郎
裏町伝い いそいそと
逢う瀬嬉しく いいきげん
待乳 今戸や向島
おぼろおぼろの小夜更けて
月に遠音のジャズの音
※青文字部分は、劇中では省略しています。
※権利者の許可を得て、歌詞を掲載しています。無断での転載、引用は禁止させていただきます。
文弥さんってどんな人?
『河童の道行』を作った文弥さんの人柄が感じられる記事を、ご紹介!
WEBサイト『岡本文弥記念館』で、記事にある年賀状の写真が紹介されています。
戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を集めた日本初の資料館です。
写真は、エントランスの様子。
アジア各国の日本軍による性暴力被害女性のポートレートが並んでいます。名前や顔、被害体験の証言をwamで公開することに同意してくれた150余名(2008年3月現在)の女性たちです。
戦前・戦中・戦後の「慰安婦」年表や、慰安所マップ、日本軍の公文書など、ところ狭しと展示されています。ホームページでも膨大な資料が公開されています。
★もっと文弥さんについて知りたい方は…
≫≫ 岡本文弥記念館(宮之助さんが作っている、WEB上のメモリアルページです。)